ホーム > 永冨奈津恵さんインタビュー

永冨奈津恵さんインタビュー


こちらは『論点ひきこもり』に掲載した永冨奈津恵さんインタビューのバックアップです。井出草平の著作物ではありません。引用をする際などには『論点ひきこもり』へのリンクを張ってください。

【永冨奈津恵(ながとみ・なつえ)】
1970年福岡県生まれ。 本業はコピーライター。
ホームページ: 『茶虎亭日乗』


1996年 仕事を通じて「タメ塾」(現在は「青少年自立援助センター」)に関わったことをきっかけに、「ひきこもり」の取材を始める。
1999年 「ひきこもりについて考える会」(都内で、月に一度開かれていた勉強会)の運営を手伝う(2003年閉会。現在は関係者有志で「新ひきこもりについて考える会」が継続されている)。
2002年 NHK「ひきこもりサポートキャンペーン」の一環として、全国の支援団体を取材する。 【参照
2005年
 フリーライターの森口秀志氏と、『首都圏版・社会的ひきこもり支援ガイドマップ』を作成。
2006年 支援施設「アイ・メンタルスクール」での死亡事件を受け、『共同生活施設のルール』作成を呼びかける。 2006年9月、刊行。
2006年11月〜2007年3月
 ネットラジオ「オールニートニッポン」で、パーソナリティを月に一度、計5回務めた。


■共著および構成・製作に携わった本:
首都圏版 社会的ひきこもり 支援ガイドマップ
共同生活施設のルール
全国ひきこもり・不登校援助団体レポート 宿泊型施設編
脱!ひきこもり
激論!ひきこもり
ひきこもり「知る語る考える」〈No.1〉
おーぃ、ひきこもり そろそろ外へ出てみようぜ―タメ塾の本



1.【アイ・メンタルスクールの事件から】 【参照


上山 永冨さん、お忙しいところ、インタビューに応じてくださってありがとうございます。
大まかに、次のようなことを伺おうと思っています。


(1) 「アイ・メンタルスクール」の事件から作られた、冊子『共同生活施設のルール』について
(2) 「ひきこもり」の多様性、高年齢化
(3) 「医療化」の問題
(4) 支援者に必要なもの
(5) 「専門性」をめぐって
(6) この10年間の変遷、永冨さんのお立場
(7) 「欲望」について
(8) 「当事者」周辺事情
(9) 展望と課題



上山 お聞きしたいことはたくさんあるのですが、とにかくまず、最近取り組まれた冊子『共同生活施設のルール』について、その周辺のいきさつと、ご苦労などについてうかがえますか。

永冨 日記にも書いたんですけれど、アイ・メンタルスクール事件が起きたとき、私はたまらない気持ちになったんですよね。 ドキドキしてしまって、何かできないかと考えたり、いろいろな人にどうすれば防げるのかを聞いてみたんです。【参照

上山 ええ

永冨 その中で、反応がよかったのが、「青少年自立援助センター」(略称YSC)の工藤定次さんで、話してみると、工藤さん自身も業界のルールが必要だと考えていた。
そこで、同じような考えを持つ人の間で、話し合いを持ちましょうか、ということになったわけです。 

上山 なるほど。
永冨さんが呼びかけ役をされたんですか?>冊子


永冨 まぁ、そういうことになりますが、お三方と話し合ってできたものですね。
ただ、私自身の考えもあそこにあるのかというと、少し違うような気もします。
あくまでも、あれはお三方の考え方を示したものです。

上山 それは、冊子に描かれているような考え方ですね。

永冨 抜け落ちている部分があると、思っています。

上山 12項目ありますね。 【参照

■ 対象者の範囲を明示していること
■ 獲得すべき目標を明示していること
■ 目標到達までの道筋を明示していること
■ スタッフ数を明示していること
■ 共同生活をする空間を公開していること
■ 危機管理システムを明示していること
■ スタッフの技術向上のための活動をしていること
■ 費用を明示していること
■ 暴力的支配・被支配を全面的に排除していること
■ 食事を通して寮生の健康管理に気を配っていること
■ 寮生から外部へ何らかの通信手段を確保していること
■ 保護者会など親と施設が連絡を取り合っていること


永冨 項目自体には異存はありませんよ。 どれも重要なポイントだと思います。

上山 具体的に言うと、どういう部分が欠けているでしょう。

永冨 1つには、似たような団体だけが話し合った内容だということ。
三団体とも、もともと同じような考えを持っているし、同じような成り立ちを経た支援団体なので、お互いに反発し合う部分がありません。 たとえば、まったく価値観の違う団体とも話し合って、それでも共通する部分を抽出するというやり方がよかったんだと思いますが、なかなか難しいです。

もう1つには、ひきこもり支援以外の……たとえば障害者支援など福祉の分野で、今まで培われてきた「資産」のようなものを考慮していない。 別の分野からの視点も必要だなと感じています。
この2つに関しては、おいおいやっていきたいなと思っていますが。

井出 福祉の分野で、今まで培われてきた「資産」のようなものを「考慮」というのは具体的にはどういうことですか?

永冨 たとえば、身体障害者の施設や老人介護の施設では、もう基本的なルール作りはとうに済ませてしまっているはずですよね。 「共同生活」に必要な基本型の部分はそこから学ぶところも多いと思いますが、そこら辺はまったく視野に入っていない。

上山 逆に言うと、「身体障害者の施設や老人介護の施設」と、「ひきこもりの施設」の間にある「同じであるべき点」と、「違っている点」とを、明確にする必要があるでしょうか。

永冨 そうです。 そういう意味での試行錯誤が、今の時点ではなされていないと言うことですね。

上山 なるほど。

井出 そのような、身体障害者施設での資産を利用しているひきこもり支援団体は存在しているんですか?

永冨 私は知らないですけど、どこかにあるかもしれないですね。

上山 最初に永冨さんが関係者に声をかけて回られたとき、皆さんの反応はいかがでしたか?
たいへんデリケートな話題だと思うんですが・・・


永冨 意外と危機感を持っている人は少なかったですね。

上山 え、そうなんですか!

井出 意外ですね

永冨 アイ・メンタルスクール戸塚ヨットスクールみたいなことは、うちの施設には絶対ないから、別世界の話だ……そんな感想でした。

上山 へえ・・・

井出 アイメンタルもこの冊子に登場する3団体も「ひきこもり」支援をしていることは同じですよね。 だから、各団体の内情をよく知らない人からは、「ひきこもり」の支援をしているんだから、どこも同じことをしているんじゃないか見られてしまう。 きっちりと支援している団体であっても、「アイメンタルみたいなことをうちはやっていない」と言う必要があったんじゃないかと思うんです。

上山 特に、宿泊型の支援施設関係者が自己弁護的になってしまうことがあっても、無理はないだろう・・・とか思っていたんですが。

永冨 うーん、私もそう思っていたんですが……。
けっこう空回りしましたね。

上山 そうするとしかし、危機感がなければ、その状況で「ルールを作りましょう」と呼びかけても、一方的に「権力的な振る舞い」に見えちゃったりしそうだな。

永冨 たぶん、そう見えていると思いますよ。
「タメ(工藤定次)さんがまたお山の大将になりたがっている」ととられている部分もあると思います。

上山 うーん・・・・ 最近私は、「ひきこもり支援の専門性」について考えていたんですが。

障害者介護とか老人介護とかとは違うロジックの「支援」が必要であるとして、そのひきこもりの支援が、最低限守るべきルールを持っていないのは、業界の外部から見ると、かなり危うく見えると思うんですね。
それで、「ルールを作る」というのは、誰がどう転んでも「権力的な振る舞い」なので、ある程度声の大きな人が、「やりましょう」と声を出さないかぎり、動きが起こらない・・・・


永冨 たぶん、「明確な支援のカタチ」がないからだと思いますよ。

身体障害者介護や老人介護には、「支援のカタチ」の核がありますよね。 「生活していく上で、どうしても不足してしまう部分を手助けする」という部分は共通している。 でも、ひきこもり支援には「核」がありませんよね。 「経済的自立」という目標に向かって職業訓練しているところもあれば、「まずは癒えること」という目標を立て「何もしない。そのかわりにひきこもりを保証する」という支援を繰り広げているところもある。 いろいろなんですよね。

上山 ええ

永冨 何をやるかが明確でないし、マニュアル化できない。
私自身は、それでいい(いろいろな方法をとる支援団体があり、ユーザーが選び取れればいい)と思っているんですけれど、でも、最低限のルールがないと、アイ・メンタルスクールのような悲劇が生まれてしまう。ジレンマです。

上山 ええ・・・。




2.「ひきこもり」の多様性、高年齢化

井出 「ひきこもり支援」といっても、各団体がとりくんでいる「ひきこもり」が多様だということなんでしょうか?

永冨 多様ですね。 ビックリするぐらい違うと思います。

井出 各団体の得意とするとこも違うわけですね?

永冨 団体ごとに来ている方々のカラーが違いますね。

上山 そうそう、そのあたりは、全国に取材しておられる永冨さんならではのお話だと思うんですよ。
ぜひこの機会に、少し詳しく聞かせてもらえるとうれしいです。


永冨 各団体は「来ている人たちこそがひきこもりである」とそれぞれに思う。
だから、「ひきこもりとは……」と言ったときに、それぞれの考えている範囲がぶれるんです。 必然的に、各団体の支援方法もぶれていく。

上山 永冨さんが編集された、斎藤環さんと工藤定次さんの対談本 『激論!ひきこもり』でも、そういう「認識のズレ」が見られましたね。

井出 多様なので、まとめて言ってくれというのは問題があると思うんですが、この冊子を作られた3団体にはどういう方が来ているんでしょう?
3団体でも違うとは思うんですが、しいていうならば。

永冨 3団体でも違いますね。
私の感触だけで説明するのは、誤解を招くこともあるので、差し障りのない範囲で言いますね。

YSC』は、基本的に、家庭訪問の末に入所されている方が多いので、家からまったく出られなかった「純粋ひきこもり」の方が多いです。 高年齢の方が多いこともあって、静かな感じですね。

はぐれ雲』は、私が見に行ったときには、比較的年齢層が低くて、寮の雰囲気が明るかったです。 見知らぬ私が行ったときも、「こんにちは」と声をかければ返してくれる。

北斗寮』へは、開設当初に1度行ったきりなのでよくわかりません。 ただ代表の方は、もともとYSCのへスタッフでしたし、活動もリンクしている部分があるので、基本的にはYSC来所者と似ているかもしれません。

上山 各団体の年齢層をだいたい教えてもらえますか?

永冨 共同生活施設のルール』の後ろの方、団体データに掲載しています。

上山 ああ、ありますね。
平均年齢: 「北斗寮」21歳  「はぐれ雲」20歳  「YSC」26歳
若いなぁ・・・


永冨 他はどうかわからないんですが、YSCでは30代は珍しくありませんよ。

私が聞いたときには、40代後半の方もおられました。 本当は、私たちが編集した『首都圏版「社会的ひきこもり」支援ガイドマップ』のように書くべきでしたね。 こちらでは、平均年齢に加えて、最も若い方と最も高年齢の方のデータを掲載しています。(ちなみに、『首都圏版〜』で、YSCは「16〜37歳」になっている。)

各団体とも共同生活施設ですから、それなりにお金がかかります。 親御さんが「それだけのコストをかけてもいい」と判断できるのは、わりと早い段階だと思うので、こういう状況になるのではないでしょうか。

上山 団体によっては、「30歳を超えると対応が難しくなるので、うちでは20代までしか引き受けない」というところもありますね。 これはこれで、「無責任になんでも引き受けない」という意味で、一つのお立場だと思うのですが・・・

永冨 そうですね、そうだと思います。

上山 「高年齢化」というのも、「支援」の重要なファクターだと思うのですが・・・
これは、支援の現場でも、体感されていることなんでしょうか。


永冨 さぁ、それはわかりません。
ただ、最近では、40代の方の話も、珍しくはなくなりましたよね。

上山 現実的に言って、40代以上の方となると、
たまり場や支援施設にも、居場所がないのでは・・・・?


永冨 「無責任になんでも引き受けない」というのは、団体の責任感を表していると思うのですが、一方で、少なくない親御さん達は「たらい回し」も経験しているわけです。 結局「行く場がない」ということになってしまう。 こちらもジレンマですね。

上山 うーん・・・

井出 統計的にも40代は珍しくないはずだということは裏付けられますよね。
あと、これから増えると言うことも。

補足でデータ入れときます。

長欠者(不登校にあらず)の推移です。

75年が境になっています。おおまかには75年を境に長欠の理由が変化しており、戦後は経済的理由などでの長欠だったものが、75年を境にそれ以降は不登校による長欠が激増します。

75年の段階で、13歳(中1)の人が不登校をして「ひきこもり」に移行したと想定すると、その人の生まれは、62年になります。今年は2006年なので現在は44歳です。

「ひきこもり」の6−8割は不登校からの持ち上がり組なので、不登校から「ひきこもり」にはならなかった方もいますが、「ひきこもり」になって以後社会参加ができなくなっている方も少なからずいる。おそらくこの世代が「ひきこもり」の第一世代です。その方々がそろそろ40半ばに到達しているのが現在です。

ですので、この第一世代の方が40代の「ひきこもり」として少なからずおられるということが第1点目。そして、この図をみれば分かるように、不登校者の数は75年から右肩上がりで上がっていきますので、現在30代の「ひきこもり」の数というのは40代の数倍から十数倍なのだと考えられます。ですので、これからどんどんと40代の「ひきこもり」の方というのは増加していくと考えられます。これが2点目です。

永冨 先ほどの『共同生活施設のルール』のところで、ひきこもり支援以外のその他の福祉と連携をとるべきだと言ったのは、40代以上の方は他の福祉も受けることができるんじゃないかという意味もあります。

上山 なるほど。


3.「医療化」の問題



永冨 ひきこもりの問題は「不登校」からはじまっていて、あまり他の福祉の分野とリンクしていなかったんじゃないか、と思うんです。 私の想像ですけど。

上山 まず最初に「病気ではない」という話にしたことで、逆に深刻化した事例については、福祉インフラが利用できない――という、なんともいえないジレンマが生じたところもあると思うのですが。

【引用:貴戸理恵『不登校は終わらない』p.48-9より】
 1988年には、『朝日新聞』夕刊トップに稲村博による「三十代まで尾引く登校拒否症 早期治療しないと無気力症に」という記事が掲載され【参照】、約二ヵ月後には「登校拒否を考える会」を中心とする抗議のための緊急集会が開かれ、全国から800人あまりを集めている。 そこでは、不登校を「病理・逸脱」と捉える見解に正面から疑義が呈されており、翌年にはフリースクール東京シューレ代表の奥地圭子による象徴的な書物『登校拒否は病気じゃない――私の体験的登校拒否論』が刊行される。 80年代の不登校/登校拒否に関する雑誌記事を調査した朝倉によれば、この緊急集会が行なわれた1988年11月を境に、「〈登校拒否〉を「治療」の対象とする記事より「登校拒否は病気じゃない」とする記事が急増している」という〔朝倉景樹『登校拒否のエスノグラフィー』p.72‐3〕。
永冨 ちょっと、答えるのが難しいな……。
他の福祉を利用できるというのは、「うまい具合に利用してやれ」という意味で、積極的に、「ひきこもりは病気なのだから、そのための福祉政策を作れ」という意味ではないんです。
私としては、「病気の人もいる、病気でない人もいる」としか言えないですね。

井出 ひきこもり支援に「医者」は必要でしょうか?

永冨 必要な人もいるでしょう。
必要としない人もいるでしょう。
……という返事になってしまいますね。

井出 ということですよね、やっぱり
いや、そうなんですよね。
支援(もしくは治療)の「必要性」と、社会的な枠組みとして医療を使うというのはまた別の話ですよね。


永冨 ちょっとわからないのですが……。

井出 つまり、医者が何か積極的な成果をあげられることができるかと、社会的に「医療」の枠組みだと考えられることはまた別の話ということです。例えば、摂食障害は社会的には医療の枠組みで語られていて、社会的には「病気」だという認識されていると思うんですが、実際のところ医療にできることというのは、それほど多くない。「ひきこもり」と比較しても出来ることは同じくらいなんじゃないかと思います。でも、社会の認識としては、摂食障害は病気だけども、「ひきこもり」は病気ではないとなっている。

上山 ひきこもりそのものを「医療=治療」の目線で見るかどうか、ということと、 「医療インフラを活用するかどうか」は、分けて考えるべきである――ということですね。>井出さんの話

永冨 それは、私もそうだと思いますね。

上山 「医療インフラを利用しているが、治療というスキームには従わない」ということだってあると思うんですよ。

井出 社会学では、社会的に医療の枠組みで語るようになることを「医療化」というんですが、
「ひきこもり」はやっぱり医療化した方がいいんじゃないかという声もあって

永冨 それは KHJ の話なのではないですか?

上山 SAD ですね。 【参照1】、【参照2

井出 はい

永冨 ひきこもりに対して、医療ができることは一部分なのではないかと思いますね。

井出 そう思います

今年の4月に精神科医の井上洋一が『思春期・青年期の「ひきこもり」に関する精神医学的研究」という報告書を出したんですが、精神科医自身が同じことを言ってました

ガイドラインによって支援の大枠が示され、支援全体に方向性が与えられているが、現実の支援の過程は医学的、心理的、発達的、教育的、社会的な様々な問題を克服していかなければならず、「精神的成熟」と「社会化」という複雑かつ個別的で多様性に満ちた領域が引きこもり問題の中核にあるために、対応は最終的には個別的であることを要請されている。これらの多様な問題性を理解し対応法を統合していくための重要な基盤の一つが精神医学的な検討である。
   
永冨 ただ、私は、KHJの気持ちがわからなくもないですね。だからといって、決して賛成はできませんけれど。
先ほど、団体ごとのカラーという話をしましたが、KHJに来ている親御さんは、「たらい回し」にあってきた方が多いように思います。当事者の年代も高い人が多い。必然的に親もかなりの高齢です。だから、親御さん達の話を聞いていると、もう「出口はない」と絶望的になっている。「もし、医療で解決されるんであれば、それを受け、ある種“ひきこもり年金”みたいなカタチで、福祉の一部になり得ないか」と考えているのだと思います。

上山 ひきこもりは、「絶望せずにいる」ことが、難しいですね・・・

永冨 KHJは、もともとはそういう発想ではじまったわけで、団体の名称がそれを表しているわけです。

井出 ですね

永冨 でも、親御さんの側にそういう「絶望」があるということを、認識しておかないといけないと思います。

上山 ええ

永冨 「医療化」を熱望する裏にある、あまりにもの「絶望」からは、目を背けてはいけないと思うんですよね。




4.支援者に必要なもの



上山 たくさんの支援者を見てこられた永冨さんにお聞きしたいのですが
支援を志すに当たって、どうしても必要な要素は何でしょう。――あまり一般化はできませんか。
「これから志す人に言いたいこと」でもいいんですが。

永冨 一般化はムリでしょう(笑)。
ただ、精神的に不安定な人は向かないでしょうね。
支援者が精神的に不安定なのは、被支援者に対して無責任だと思います。

上山 ふむ・・・

永冨 よくあるのが、「自分が精神的に不安定になったからと言って、面接やカウンセリングを中断する」ケース。せっかく一縷の望みを託そうとしていた被支援者に失礼です。

井出 「よくある」のですか?

永冨 あります。よく聞きます。

井出 (;´Д`)

上山 逆に言うと、支援者が「安定」できるような態勢が必要だと思うのですが。

永冨 私が言っているのはそういう意味ではなくて、もともと「不安定」な方ですね。
自分が「助かりたい」から「支援したい」。 言葉には出さなくても、そういう姿勢でいる人は「不安定」ですね、やっぱり。

上山 いわゆる「メンヘラー」や、ひきこもり状態の「経験者」ですね。
それだと、「もと経験者」みたいな人は、支援者にはなれないでしょうか。

永冨 私は、「経験者」が支援者になるのは、基本的に反対です。

井出 臨床心理をしてる人にもそういう人が多いですよね

永冨 そうですね。

上山 「自分が救われたいと思うことと、他人を楽にすることは違うのに、混同している人が多い」というのは、京都文教大学の高石浩一氏も以前からおっしゃっています。 (高石氏は、臨床心理士を育てるお立場の方です。)

永冨 「経験者」は自分の例を一般化して、支援対象である当事者に当てはめる傾向があります。これは、「親御さんが支援者になる」場合もそうです。

上山 なるほど。

井出 はい

永冨 ひきこもりに対して、医療ができることは一部分なのではないかと思いますね。

上山 「自分の事例を一般化」は、金城隆一(きんじょう・たかかず)さんが同じことを警告されていました。 【参照:「金城隆一インタビュー」】
金城さんご自身は不登校の経験者で、かつ優れた支援者だと思いますが、「自分の経験は役に立たない」とおっしゃっていました。


永冨 自分のただ一例を一般化し、対応しようとしても、何度も言うようにひきこもりは多様ですから、対応できないわけです。
でも、よく聞きますけどね。「ひきこもった人じゃなきゃ、ひきこもりの気持ちはわからない」という発言をされている方はたくさんいます。

上山 「わかる」必要はあるかな。

井出 ないんじゃないですか

永冨 ……というか、人のことは基本的に「わからない」のではないか、と。

上山 それ、メチャクチャ重要な点ですね。

井出 ですね


5.「専門性」をめぐって



上山 しかし、「みんなバラバラ」とだけ言ってしまうと、専門性をめぐる議論が何もできなくなりますが・・・

永冨 上山さんが考えている専門性議論には、「反対」の部分があったりします。

上山 ええ、ぜひ聞かせてください。

永冨 上山さんは、どういった「専門性」を考えていますか?

上山 分業の要因があるので、「どう整備するのか」というところから、皆さんと議論する必要があると思います。

永冨 それはそれぞれの団体の「得意・不得意」を明確にすると言うことですか?
私は「得意な分野を明らかにして欲しい」と支援団体側に言ってきたつもりですが、その考えが今揺らいでいます。

上山 ぜひ、聞かせてください。

井出 具体的にはどのように揺らいでいるんですか?

永冨 ある団体の方と話したんですけれど、そこは発達障害の人、30代の人、10代の人が入り交じっているところでした。

病気の人も、年代の違う人も、すべて一緒の場にいるわけです。 これこそが、その団体の「得意」だったわけです。

上山 ふむ・・・

永冨 その団体の理念も「すべての人を一緒に」というものでした。
だから、あまりに「専門性」を言い過ぎると、そうしたところを淘汰してしまうのではないかという不安を感じます。

上山 大きな問題として、「現場」と「言説」の乖離が、すごいストレスになっていると思うんですが・・・ いかがでしょうか。

永冨 え? よくわかりません。

上山 ええと
じゃあちょっと質問を変えて


上山 「いろんな人が居る」として、しかしその「いろいろさ」の中身にも、「ひきこもり」独特の枠組みはないでしょうか。 そこで、「ひきこもりの持っている多様性」の中身について、少しでも「専門的な」情報は共有できないでしょうか。
そういう部分さえ共有できないとしたら、「ひきこもり」という特化された枠組みを設定する必要は、ない――ということになりそう。

永冨 実は、「特化された枠組み」というのは、支援にとってはあまり必要ないのではないか、とも思ったりもしています。

上山 ほう。

井出 たとえば、発達障害の方に対する支援とひきこもり方に対する支援って逆のことがあるじゃないですか。
アスペルガー障害の場合は、規則づくめ的なものの方がいいけども、ひきこもりの場合はあまり望ましくないとか。


永冨 現場には、「対応の仕方」を変えるというノウハウがもちろんあります。

現場には、ある程度のルールがあるのですが、それは本当に基本的なことだけです。それ以外は一人ひとりへの対応になっている。というか、そうならざるを得ないんですね。まぁ、規模的な問題として、「この人は発達障害だから、特別なスタッフが支援する」というわけにはいかないですから、一人ひとりの様子を見ながら、対応していくしかないわけです。

上山 「現場ならではのノウハウや事情」と、「理論家たちの考えること」に、乖離はありませんか。

永冨 理論家といっても、誰がいるんでしょうか? 斎藤環さんとかですか?

上山 たとえば、「専門資格」というのは、「理論」などを「勉強」して取得しますよね。
で、いっぽうで、支援をバリバリなさっている民間支援者の多くは、無資格です。


永冨 たいていそうですよね。 こないだ、アイ・メンタルスクールを取材していた週刊誌の記者の方にビックリされましたね。

その記者の方は、重大な事実をつかんだという感じで、「アイ・メンタルスクールには有資格者がいなかった!」と教えてくれましたが、私が「どこの団体でもそうですよ」というと、非常にビックリされていましたね。その方は、どこの団体にも、臨床心理士やPSW社会福祉士など、何らかの資格を持った人がいるもんだと思っていたみたいです。

上山 ああ。
そうすると――さっきの「わからない」と言われた僕の質問にも関わるんですが――、 「いろいろ難しい資格や理論の勉強をしても、けっきょく現場では役に立たないじゃん」ってならないかと。


永冨 まぁ、そういう有資格者は多いですよね(笑)

井出 資格と能力って別問題ですしね

上山 「だって、実践をほとんどやってない物書きの考えだけが先行してるんだもの。」(和田重宏氏

永冨 たぶん、「ひきこもり支援」と一口に言っても、それはもう、ある部分「生き方」に密接にならざるを得ない部分があって、そこが支援問題をややこしくしているような気がするんですよね。

で、一口に「生き方」といっても、めちゃくちゃいろいろな価値観があるわけじゃないですか。だから、その価値観に応じて、支援団体はミッションを決めているということになっているわけです。

上山 だから、下手をすると、非常に陳腐かつ恣意的な「人生論」が、そのまま「専門性」になってしまいませんか。

永冨 うーん。その「専門性」が何を意味しているのかがちょっとわかりませんが……。

ただ、「非常に陳腐かつ恣意的な人生論」に「NO!」という団体もあるわけですよね。「人生論を唱える道徳主義」だけが価値観ではなく、それに「NO!」ということも価値観だと思います。そのくらい支援団体は多様で、いろいろな価値観を持っているわけです。 斎藤環さんが、『「負けた」教の信者たち』の玄田有史さんとの対談の中で、「治療」と「支援」の違いを言っていますが、私もそうだと思うんですよね。

「ひきこもり」とは状態のことなので、「治療」することはできない。

では、「治療」と「支援」はどう違うのかといえば、「治療」には一般性やスタンダードが必要だけれども、「支援」はそうではない。結局は「価値観」なんですよね。「反学校」を唱えるのも価値観ならば、家父長制を前面に押し出すのも価値観です。私個人の好きずきは当然ありますけれど(私にも価値観がありますから)、人が持っている価値観を間違っているとは言いたくない。

だからこそ、私は、ユーザーがさまざまな支援団体を選び取る方がいいと思うんです。 それでいいと思っているんですよね。 それに、「ひきこもり」には「治療」はなじまないとも思いますよ。治療が必要な場面もあるかもしれないけれど、それがすべてではないでしょうし。 上山さんが言う「専門性」という言葉からは、「治療」を連想してしまいます。

上山 現在の制度では、「支援者になりたい」と志した人は、無手勝流で支援者になってしまうか、何らかの既存資格を取得するしかないわけですが・・・。

永冨 はい、そうですね。
もしくは、どこかの支援団体でスタッフ修行をするか……でしょうね。

上山 すでにある「支援者になるための専門資格」は、そのままで機能すると思いますか?
あるいは、何か別の方針みたいなものを、検討すべきでしょうか。

永冨 既存の「支援者になるための資格」が、医者、ソーシャルワーカー、PSWなどを言うのだとすれば、当然必要だと思いますし、機能する部分もあるでしょう。
「別の方針」といったときに、その具体像がイメージできないですね。「ひきこもり支援」の核みたいなモノが今は一切ないわけですから。

上山 永冨さんが「共同生活施設」についてルール作りを検討されたように 「支援者」全般について、なにかルール作りは必要ないだろうか、という話です。

井出 「ひきこもり専門支援士」みたいな資格を作ろうって話じゃないんですよね?

上山 「志した人間であれば、誰でも支援者になれる」というのは、たしかにひとつの意見ですね。 たとえば、既存の民事・刑事の法律にさえ従っていればいい、とか。
しかし、「勉強する」必要があるとしたら、やっぱり何か「情報」とか、「理論」とかに期待されているのでは・・・

永冨 もちろん「情報」でしょうね。
現場の若い支援者たちは、「理論」よりもむしろ「HOW-TO」を欲しがっているように感じます。

上山 個人的に、斎藤環さんや私が持ち出している、「再帰性」という概念について、永冨さんのご意見を伺ってみたいんですが。

永冨 「再帰性」については、斎藤さんらしいな、と(笑)。
たしかに、そうした話が適用できる当事者の人たちもいるけれど、そうじゃない人もいるでしょうと思いました。すみません。本当にこういう言い方しかできなくて……。

上山 ふーむ・・・

永冨 むしろ、現場が求めていることの方に、私は興味があるんですよね。「支援にとって役に立つモノ」が、私の興味の対象ですね。




6.10年間の変遷、永冨さんのお立場



上山 永冨さんが「ひきこもり」に関わってきたこの10年について、少し個人的なことも含め、お聞きしたいのですが。

永冨 はい。どうぞ。

上山 この10年で、「ひきこもり」周辺の事情は、ずいぶん変わりましたか?
あるいは、変わらないでしょうか。

永冨 変わらない部分もあり、変わった部分もあり……ですね。

上山 その両方について、少しでも教えていただけるとうれしいのですが。

永冨 変わった部分は、「ニート」という概念が出てきたことで、ひきこもり支援の一部でもあった就労支援が無料、または安価で受けられるようになったこと。これは、今まで就労支援という枠組みを持たなかった支援団体にとっても、利用することができてよかったことだと思います。

上山 私が関わりだしたのは2000年でしたが、その頃は、「仕事の話」イコール「働けという説教」という感じでしたね。

永冨 塩倉裕さんが言われているように、90年代は、ひきこもりはどちらかというと「コミュニケーション」の問題だったと思うんです。それが2000年以降、就労問題に推移していきましたよね。おそらくは、ひきこもり当事者たちの高齢化と、存在が認知されるにつれ、「こんな若者が増えているとしたら、これからの日本はどうなってしまうんだろう」という漠然とした不安感が起きてきたことが、拍車をかけたんだと思います。でも、「問題は彼らの就労だ」と思ったとしても、何をしていいかわからないから、「働け」とむやみに叫ぶだけだったわけです。
そうした流れを踏まえて、「就労支援」という枠組みを介して、団体同士が結びつきを強めています。これは非常に変わった点ですね。

上山 今でも「ネットワーク」は課題になっていると思いますが、以前は今よりもバラバラだったんですね。

永冨 これは、ニート対策として落ちてきた行政のお金を「みんなで分け合おう」という、いやらしい部分でもあるわけですが、以前に比べれば、団体同士が、共同でイベントを開く機会などが増えていると思いますね。
変わっていない部分は、依然「家から出られないひきこもり」はほうっておかれているということ。
パッと考えつくのはこのぐらいでしょうか。

上山 テレビとか、ネットとか・・・

永冨 実際の支援として考えられるのは訪問活動と親への情報提供くらいでしょう。

上山 そのご判断というのは、「ひきこもり」についての、永冨さんのお立場を表現しているようにも思うんですが。

永冨 というと?

上山 「無理やりの訪問はいけない」とか。

永冨 「ゼッタイにいけない」とは言えない部分もあるけれど、基本的にはダメでしょう。
ムリヤリに訪問すると「必ず事後に問題が起きる」と、何人もの支援者に言われましたね。

井出 無理矢理の訪問はどこまで無理矢理することですか?

永冨 私の意見として聞いてくださいね。
本人が「納得」まではいかなくても、訪問の事実を知っていることがポイントなんだと思います。あるいは、家には行くけれども、親を訪問するんだというスタンスをつくって、本人には働きかけないとか……。
フツウに考えて、知らない人が自分を訪ねて来るという事実を、家族は知っていて、自分だけが知らないというのは、おかしくないですか?

井出 おかしいですね

永冨 誰だって、いきなり知らない人から訪問を受けるのはいやなものです。しかも、そのことを自分だけが知らなかったなんて、もっとショックです。だから、フツウに、最低限の礼儀をわきまえてほしいと思うだけです。


7.「欲望」について



上山 そこで、「なぜそこまでして訪問しているのか?」とか、「なぜ《支援》するのか?」という、「支援者の側の欲望」というテーマがあると思うんです。

永冨 「仕事だから」だけではダメですか?

上山 訪問する側が「仕事だから」というのは、依頼者は親だったりしますよね。

永冨 たいてい親ですよね。

上山 そもそも、なぜ「ひきこもり支援」に飛び込もうとしているのか、とか。

永冨 でも、それをいったら、私は、なぜ自分が広告の世界に飛び込んだのか、明確にはわからないですよ(笑)。 それと同じではダメなのでしょうか?

上山 ああ、そこなんですが。
これは、ちょっと突っ込んだ質問かもしれないんですが・・・
永冨さんご自身の 「欲望」が お聞きしてみたいんです。


永冨 え? 何ですか?

上山 たとえば――
これは少し時間をさかのぼりますが、そもそも永冨さんは、なぜ「ひきこもり」に興味を持たれたんでしょう。 「いきさつ」については、ある程度うかがっていますが(紹介文を参照)、それこそ「ふつうは」ひきこもりに興味を持たないかも。

永冨 本当に偶然、「仕事」として、ひきこもりを知ったわけで、興味があったわけでもないし、そういう存在すら知りませんでした。もちろん、YSC以外の支援者やひきこもり当事者に会おうとしたのも、はじめは「仕事」として面白そうだったからというだけです。

ただ、勉強会に出席しはじめのころは、「一発、当てたろか」というイヤらしい気持ちがなくはなかったです。フリーランスになったばかりだったし、実際に、「本を書かない?」と何本かのオファーもありましたし……。

でも、知れば知るほど、あるいは当事者(といっても元当事者)と知り合えば知り合うほど、何がなんだかわからなくなってしまった。まったく書けない。

上山 ほう

永冨 「何なんだろう?」って思うほどに、のめり込んでいったという感じですよね。

上山 はっきり言って、永冨さん、
「ひきこもり」に関わっても、金銭的には赤字なのでは・・・?

永冨 まったくの赤字です。
だいたい10年やってて、ひきこもりがらみの収入は多分、100万円をちょっと越えるぐらいかな(笑)。……とすると、1年で10万円くらい。

上山 えー!
出費は・・・


永冨 出費は、いろいろなとこ歩いてて、ほとんど持ち出しですね。

上山 これでは、永冨さんに続く人が出てこないと思うのですが・・・

永冨 別に、私みたいなことする必要はまったくないと思いますよ。
もし、私が優秀なら、何本かの著作はモノにできていただろうし、それでペイできると思いますね。
私自身には、あまりジャーナリスティックな欲望がないし、本業は広告屋なので、お金は別の所で稼いでいるから、取り立てて焦る必要がなかっただけです。

上山 けっきょく、ひきこもりの話のかなりの部分って、「動機づけ」の難しさとか、わからなさに関わってると思うんですね。
それで、「支援者」の側が、「どうして支援するのか」をよく自覚しないままに、「仕事だから」とか、「社会参加するのが当然だから」とかいって、ずかずかとやってしまっていいのか、とか。 (「治療」という方針一色になってしまうのは、その最悪のパターンだと思います。)
「関係者ひとり一人の欲望」というのは、僕は大事なテーマだと思うんです。
いかがでしょう。


永冨 誰でも、仕事に対して、ある程度の欲望はあると思うんですよね。
しかし、「なぜ私はコピーを書いているのか」ということを自覚しているかどうかがそんなに重要かというと、そんなことはないです。動機は不純でも、欲望がまったくなくても、技術さえあればできる仕事です。
あえて、「ひきこもり支援者」に欲望を問うというのは、なぜですか?

上山 そこの部分が、ひきこもってる側ではいちばん難しくて、謎になってないですか。>「仕事への欲望」 「社会参加への欲望」 「消費生活への欲望」

永冨 うーん、「支援者」に特別な何かを求めている気がしますけれど……。
それに、「欲望」を問えば、「欲望が生まれるか」というと、まったく違うベクトルのような気がするんですけれど。

上山 そうそう。
そのへんが難しい。


永冨 だから、そんなに「支援者の欲望」をことさらに問題にする必要はないのではないか、と思います。

上山 嫌になって辞めていった方とか、おられましたか。>支援者

永冨 いっぱいいます。
「燃え尽き症候群」というのでしょうか。 熱心な人ほどダメになってしまいがちですよね。
支援団体のスタッフの人は、驚くほど薄給です。がんばったからといって、目に見える評価があるわけでもない。そうすると、熱心でやる気のある人ほど、空回りしてしまいがちです。

上山 うむむ・・・
それってしかし、ひきこもっていた側が、必死の思いで社会復帰して、それで「なぜ続けていけるのか」という問いにもリンクしませんか。

永冨 うーん。どうなのでしょうかねぇ。

上山 支援者の側が「なぜ続けていられるのか」ということ。
被支援者の側が、「どうして社会に関わり続けられるのか」ということ。
社会って、やっぱり基本的には地獄みたいな場所でしょう。

永冨 あ、そうくるわけですか(笑)。

上山 はい(笑)

永冨 でも、上山さんだって、何年にも渡って、すごく難しいブログをたくさん書いていますよね。
なぜ、続けられるのですか?

上山 そうそう、そのへんを話題にしたいわけ。
ひきこもってる葛藤も苦しいけど、参加し続けるのもひどく苦しい。

永冨 多分そうだと思うんですけれど……。
どっちも苦しい。でも、苦しいばかりでもない。
それではダメでしょうかねぇ。

上山 「なぜ、続けられるのですか?」
続けられている人は――いまの僕も含めて――、「理由を説明しろ」と言われると、できないと思うんですよ。

永冨 そうですね。惰性でしょうかねぇ。慣性の法則とか?

上山 それで、「できなくなっている人」から見ると、それが「奇跡」に見える。
「なんでできるんだ」。

永冨 そうかもしれませんね。

井出 「脱出のきっかけ」っていうのも結局の所よく分からない人がおおいんですよね?

永冨 私も、「この人はなぜ外に出られたんだろう?」――つまり、外に出られた人と出られない人は何が違うのだろうと考えて、いろいろな人の「きっかけ」を聞き回ったんですけど、法則みたいなモノがあるかどうかもわかりませんでした。
しいていうなら「偶然の出会い」で、それがまた人それぞれですね。

上山 僕が「再帰性」と言って話しているのは、そのあたりの「動機づけ」「根拠付け」のあたりのことなんだけど、それはまたいつかあらためて。




8.「当事者」周辺事情

井出 「きっかけ」っていうのは、「出来なくなっている人」が「惰性のループ」に入る瞬間ですよね

永冨 そうでしょうね。

上山 うまくいってるケース、10年変わらないケースなど、さまざまにご覧になってきてると思うのですが、いかがでしょうか。 何か思われることなど。

永冨 いやぁ、なんとも言いようがないです。 人それぞれですね。

井出 何年で出ている人が多いです?

永冨 ホントに人それぞれですね。ごめんなさい、ホントにこんな風にしか言えないんですよ。

上山 仕事を始めて、そのまま続いている人というのもおられるんですか。

永冨 いますよ、います。

上山 おお。

井出 仕事をつづけて、そのまま続いている人って珍しくない気がします。あくまで個人的に知ってる範囲ですけども

上山 その、「続けるコツ」を聴いてみたいなぁ・・・・

永冨 たしかに、やめちゃう人も多いです。今は労働事情が悪いので、そんな過酷な状況ならやめて当たり前だと思う人もいる。
でも、続いている人もいますよ。正社員の人もいるし、非正規雇用の人も。

上山 「いろいろいる」としか言いようがないわけですね。

井出 印象では、段階を踏んでいっている人の方が続きやすいのかなというのが、あるんですが

永冨 私の印象では、「1人で立ち向かわない」人が続いている気がします。
愚痴れる相手を持っている人が、続いている感じ。
まったく1人で立ち向かってしまった人ほど、また元に戻ってしまいやすいような気がします。印象だけですけど。

井出 それはたしかに

上山 ああ・・・

永冨 だから、井出さんが言う「段階を踏む」とは、その前段階の、複数の知り合いをつくった後で、働いた人を言うのではないか、と思うのだけれど。

井出 そうです

上山 そのへんを細かく検討しあうのって、大事だと思いませんか。

永冨 たとえば?

上山 「いろいろいる」のはたしかなんですけど。――これは、今日はこれ以上は無理ですけどね。

井出 愚痴を聞くって大事だよね?とか

上山 ええ そのへん

永冨 そうなるとただの「人生訓」になっちゃうのでは(笑)?

上山 (笑)

9.「ルール作り」、行政の周辺

井出 ルールについて聞き漏らしがありまして

永冨 はい。どうぞ。

井出 ルールは必要というのはこの場の前提として共有されていると思うんですが、誰が作るかという問題で、各団体が作ろうとすると「お山の大将」という話になる。
とすると、理想的には「行政」が「ルール」をつくのが望ましいと言うことになるんでしょうか?


永冨 うーん。そこですよね。やっぱり難しいでしょうね。
結局、行政がつくると、「広さはどのくらい必要」「常勤カウンセラー何名以上」とか細かく決められて、無個性な団体ばかりになるような気がするんですよ。そうすると、多様な支援団体の良さが失われてしまうのではないかという不安があります。

上山 永冨さんは、神奈川県青少年問題協議会の委員もされていますね。

永冨 えっ! なんで知ってるんですか?

井出 井出も知ってますよ。現代は監視社会ですから。

永冨 こわいですね(笑)。
神奈川県の話は言いはじめるときりがなくて、グチりたくもありますが、やるからには言うべきことはきちんと言っておかないといけないと思ってやっています。
ただ、こういう委員会で予算が決められていくのは事実で、「見張らなければならないのは実はこっちだったのか」と思いました。イチ納税者として……。
こういう委員って、どうやって、誰が決めているんでしょうね。

上山 そういう意味では、やっぱり「専門性」ってあるでしょう。
ある程度以上の「常識的理解」は持っているとか。

永冨 委員をやられている方は、心理の先生だったり、ソーシャルワーカーだったりもいれば、キャリア系の会社の社長さんもいる。「常識的理解」が何なのかはわからないけれど、「専門性」と言われれば、私が一番「専門性」がないですよ。

上山 ていうか、「ひきこもりのことならこの人たちに任せればいいはずだ」という、その「常識的判断」が、すでにずれてませんか。

永冨 うーん。では、誰に任せればいいのかと言われても、わかりませんが……。

ただ、知っていると思うけれど、神奈川県は、ひきこもり対策に関しては先進県だと思うんですよね。 「青少年センター」と言うところが、相談の窓口をやっていて、そこでは、県の職員以外にも、必ず毎日NPO団体の代表が来ていて、相談を受けている。これはすごいと思います。

上山 横浜はすごいですね。
いや、あれは「神奈川県」なのか。

永冨 横浜市と神奈川県は別の行政区分ですね。

上山 2005年3月に、斎藤環さん、玄田有史さん、岩田充功さんとイベントをご一緒したときに、飲み会で少しお話をうかがいました。 【参照
公務員のかたが「訪問」をされているというので驚いたのだけど。


永冨 それは横浜ですね。 あそこは、もともと寿町という、日本有数の寄せ場にあって、もともとは貧困家庭を対象にしていたわけです。 きちんと話は聞いたことないですけれど、おそらくそのころから、家庭訪問をしていたという伝統があるんだと思います。

上山 ああ
そういうのも関係しているのか・・・!
A’ワーク創造館」みたいな。

永冨 そうですね。
話を神奈川県に戻すと、「すごい」と思ったのは、A’ワークにいた樋口さんや私と森口さんなどでそれぞれ作った「支援ガイドマップ」がすでにあったんです。神奈川県では、県下の青少年・若者支援の団体をまとめた「ガイドマップ」が存在していた。 あまり知られてないのが問題でもあるけれど、こういうことを行政はやるべきだと思うんですよね。

上山 「神奈川県にはすでにあった」というのは、存じませんでした。

永冨 そうしたことから「ネットワーク」ということをすごく考えている。やっぱり、先進的な自治体だと思います。

井出 不登校の受け入れ先のマップである「ステキな学び場データベース」とは別にですか?

永冨 『かながわ青少年サポートガイド』という名称で、不登校だけじゃなくて、全部。 ひきこもりも含めた支援団体すべてですね。内容は、ここで見ることができます。 それぞれの団体のHPを集めただけのリンク集ではありませんので、かなり役に立つと思います。



10.展望と課題――「割り切れなさ」

井出 では、井出から最後の質問を。
ルール作りは結局どこがするとベストなんでしょう?

永冨 わからないですね。
ただ、もしかしたら、私みたいな取材者か、研究者みたいな第三者が、きちんと調査して、何か指針を出すというやり方が、一番まとまりやすくはあるのかな、と思いますね。
誰かやらかないですかねぇ?

井出 樋口明彦さんやる気無し?

永冨 どうなんだろう? やって欲しいですけれどね。

上山 では、そのことも絡めつつ、最後に
(9)個人的、業界的な「展望と課題」 のあたりを、うかがえますでしょうか。


永冨 展望と課題? どうなんでしょうかねぇ。

上山 永冨さんご自身は、「もう関わりたくない」ってなったこと、ないですか・・・?

永冨 「関わりたくない」と思っては本業に逃げ、本業が暇になったら手をつけるという
バランスでやっているので……。 ここ数年はそんな感じでやっていますからね。

井出 「それだけ」をやってるのは非常にしんどいですよね

永冨 たしかに「しんどい」と思いますね。
システマティックに考えたい自分と、それを裏切る現実。
でも、そこら辺が、魅力……というと語弊があるかもしれないけれど、私にとっては面白いなと思います。

上山 「システマティックに考えたい自分と、それを裏切る現実」――これだけで、すごく大きなテーマですね。

永冨 とにかく、合理的に考えたいタイプなんですよ、本当は。できれば公式を使って解答を出したくなってしまうんです。でも、現実はそれを許してくれない。割れきれないんですよね。ひきこもりに関してはすべてがそうで、支援団体のルール作りにしても、当事者のことにしても、なかなかそうはいかない現実があって、それが問題をややこしくしているんだと思うけれど、それが逆に面白い……というか。

井出 割り切れなさがあるから、やり続けられるということなんですかね?

永冨 割り切れないんですよね、ホントに。前に、井出さんとも話したと思うけれど、障害者や被差別部落、あるいは同性愛などの他のマイノリティと、何かが根本的に違うんじゃないかと思います。

井出 だと思います。何かが違うという感じは井出も持ってます。


上山 まだまだお聞きしたいことはあるのですが、今日はこのあたりで、時間が来てしまいました。
できれば、これを最後といわず、またお話をうかがいたいですね。

永冨さんの存在には、公的にも、私的にも、「助けられた」という人は多いと感じています。
私自身、永冨さんという存在に出会えて非常に助かっているので、個人的に感謝申し上げたいです。

今日はお忙しいところ、長時間お付き合いいただき、ありがとうございました。


永冨 はい。こちらこそ。ありがとうございました。

井出 ありがとうございました。


(編集:上山和樹井出草平)